伊勢志摩百物語~渚?港を歩き憩う~
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- 14 - 志摩の太平洋に面する甲賀、『神宮雑例集』に「志摩国甲賀村神田」と見えており、『和名鈔』にも「甲賀郷」と出てくることから、少なくとも平安中期からこの地名があったことが分かります。近世を通じて鳥羽藩領で、鯛、ふくだめ、鰹のたたきなどを献上していました。『甲賀略誌』には「漁業、当村は海辺の地なるを以て、村民の四割は漁業専らに励み」や「往古我が甲賀に於て鯨捕船ありて之を業とする者」という記述があります。珍しい鯨漁の記録もあり、志摩でも有数の漁村であったことが窺えます。しかし平坦な砂浜海岸にあるため、近世には多くの津波の被害があったと記録されています。 海岸近くにある見宗寺には市指定文化財の、鎌倉時代前期の作と考えられている木造大日如来坐像があります。『阿児町史』には、この仏像について「カツオ船の船頭、水夫の信仰あつく、一月二十八日の縁日には参籠し、境内の竹一本を求めて船印のさおとして大漁を祈願したとい浜辺で海を眺めほっと一息。誰しもそんな経験があるのではないでしょうか?何も語らないかもしれないけれど何でも聞いてくれる。浜にはそんな懐の広さがあります。地平線に広がる海と空とを望む浜辺は心の曇りを晴らしてくれる「場」なのかもしれません。 盆行事で賑わう浜田海岸7.先祖を想う鼓踊の浜  ―甲賀の浜田海岸― (志摩市阿児町甲賀)

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